小説みたいな恋をして

 

 

「雨下。」
唯史は名前を呼んだ、少しでも害意がない事を示す為にと精一杯の愛情を込めて。
返事はない。
「閉じこもっててもいいから返事しろよ。」
まだ応えは返らない。
「そんなに嫌なら俺が何とかしてやる、だから。」
自分でも直感的に言ったその言葉に、
「ごめん。」
小さな声だった。
やっぱりここに居たのだ、狭くて鍵の掛かるこの男子トイレに。
「どうしても、嫌なのか。」
光紀は答えない。
「聞いてやるから、出て来いよ。」
そう言って、そっと扉に体を寄せた。ドアが、軽く軋む。
「・・当に?」
更に小さい声、聞き取れなくても何を返せばいいかは分かる。
「俺が、聞いてやる。」
鍵を外す音が聞こえた。内側に向かってドアが開く。唯史は、
金縛りにあったように動けなくなった。
立ちつくす唯史を、光紀が上目遣いに見つめる。
自分の顔が真っ赤になっているのが嫌でも分かった。
だってその位、チャイナドレスに身を包んだ光紀は魅力的だったのだ。
「雨下、だよな。」
豊かな胸に大胆なスリットから除く真っ白な長い足。切れ長の黒い瞳の睫毛はびっしりと長くて、小作りな唇が、赤く濡れていた。
見惚れてしまって瞬きも出来ない。
しかし、弓のように細い眉はっ不機嫌そうに力一杯蹙(ひそ)められた。
「これだから嫌なんだよ。」
その言葉に、光紀の過去を思い出す。
「でも、雨下が綺麗な事には変わりないだろう。」
「そんな風に笑うな。」
「大丈夫だよ。」
光紀の中にある感情が不安なのだと、そう言ってから気が付いた。
「なんで言い切れるの?」
「俺が付いてるから。」
自信なんて無い、でも本気で光紀にそう言ってやりたいと思ったのだ。
「僕は。」
「俺は、雨下が居た方が嬉しいけどな。」
言うと、光紀は何故か赤くなった。その反応に思い返して自分でも随分気障な事を言っていると思う。でも本音なのだから仕方がない。
光紀は動かなかった。唯史は焦る、気持ちは確かに動いているのだ。それなのに何か、足りない。光紀の気持ちを考えて、唯史はやっと必要な言葉を見つけた。
「どんなだって雨下は雨下だし、みんなすぐ分かるよ。」
光紀の手が、唯史の袖を掴んだ。
「大丈夫。」
その一言で、光紀の表情から硬いものが消える。
光紀は笑った。
「それじゃ行こう。」
なんでもない事のように言って、足を動かす。
唯史が行くと、コンテストの責任者は開演が遅れたと怒った。光紀の説得に行っていた話は伝わっていないのだろうか、そう思ったら違った。
「徒花(あだばな)は居なくても何とかなるけど審査委員長が居なかったらどうにもならないだろ。頼むから自覚してくれよ。」
言うだけ言って唯史を舞台に送り出す。その責任者が数分後に見せるであろう驚きの間抜け面を想像して唯史は取り敢えず溜飲を下げておく。
司会の紹介が済むと着飾った男子生徒達が次々に出てきて、その顔が大きくスクリーンに映し出される。事前の公表写真は制服姿の物だったから観客席はざわめきに包まれる。十人目、本来ならとりを飾るはずだったセーラー服姿の『図書室の小野小町』がターンを終えて、
ラスト。
少しだれてざわついていた会場は水を打ったように静まりかえった。
他のメンバーの驚く顔を見ようと思っていた唯史すらも目を釘付けにされた。
極上の美女は完璧なモデルウォークで優雅にターンを決めて所定の位置に着く。
仕草の一つ一つに華があって、他の候補者とは完全に格が違っていた。
『ええ、最後、エントリーナンバー7番は、二年3組の光ちゃんです。』
完全に出遅れた司会が、それでもなんとか原稿を読んで。
そこから先は、もう完全に光紀の独壇場だった。
インタビューには無邪気の微笑みで応え、フリーアピールでは1分間の持ち時間で妖艶な女を演じきる。
そのアンバランスさが男心をくすぐらないわけにはいかない。
光紀との約束は覚えていかないが、この状況で、彼以外を優勝者に選ぶ決断など出来るはずがなかった。

 

 

 

 

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