小説みたいな恋をして
その数時間前、光紀は夕食もそこそこにパソコンに向かっていた。ワープロソフトを立ち上げて新しい書類を作成する。
これから書くのは、小説だった。
実際のところ、文化祭用には規定枚数を守った『恋愛論』という文をもう提出している。それなのに、時期が早い所為もあってその途端に新しい依頼書を押しつけられた。こちらは秋の部誌と同時発行する裏部誌とも言える娯楽本の原稿依頼だ。
今は自分の事だけで手一杯でそんな原稿を書いている暇など光紀にはない。そう言っているのに彼女達からの強引なアプローチは続いて。追いつめられていく心で望まれるような恋愛小説を書ける心境になれるはずもなかった。
同じ文章でも、評論文ならば自分の中にある言葉を形にするだけだからそう時間の掛からない。しかし小説となると気を遣わなければいけない事がずっと多いし、それ以上に話の種になる事がなかった。ましてや短編ともなると筋道を立てて考えたって思いつく事も出来ない。
制約無しに書けて、身近な人から直接反応が返ってくる短編。それは確かに魅力的な条件だったがそれを飲むだけの時間も許容量もあるとは思えなかった。
だからずっと、気は重くても津村達には断り続けようと決めていたのだが。
今はそうは思っていない、だからこうして書き始めているのだ。
きっかけは一人のクラスメイト。
庇ってくれたのにお礼も言わずとぼける自分に、彼は嫌な顔一つしなかった、それどころかまた助けるような事までしてくれて。
帰り道に聞いた自分では決してたどり着けないような考え方にずうっと心の中に持っていたしこりが溶けていく気がした。
こんな事が、現実に起こるなんて知らなかった。
第一印象はきっと最悪で、その後も気も遣わず本性で接してしまった自分を受け入れてくれて、何でもないような顔でその悩みを消してくれる。
そして笑顔で、彼の勇気を一緒に分けてくれるのだ。
もし自分が女の子か、せめて同性愛者だったらきっと彼に惚れ込んでいただろう。
しかし幸か不幸か自分は根っからのノーマルで。だから後1年半は友人を続けて、そして他のみんなと同じように疎遠になってしまうのだろう。
少し残念な気はしたが、仕方がない。それが現実だ。
そう思った瞬間、別の結末を考え付いてしまった。
自分とは違う強さを持った格好いい存在に触れて、恋に落ちる。精一杯の愛で体当たりに想いを伝えて、奇跡的にも彼をそれを受け入れる。
そんな事が、物語であったのなら起こってもいいかもしれない。
だから光紀は津村達の依頼を受ける事にした。
タイトルは『moment』、恋に落ちるその瞬間と引力の強さを印象的に書きだしていく予定だ。前者は簡単、主人公に悩ませて今日の自分と同じ思いをさせてやればいい。
そのシーンまで無理矢理書き上げた所でアラームが鳴った。睡眠時間を削れない性格の光紀は12時には寝ないと翌日が使い物にはならないのだ。
歯を磨いてベッドに入ってからも、光紀はずっと唯史の事を考え続ける。あんな男を、自分の描く主人公は一体どんな風に見て、どうやって愛していくのだろう。
違う個性に戸惑いながら、だからこそ惹かれていくのだろう、一人ではたどり着けない所に彼となら行ける気がするのかもしれない。いや、そんな事よりも、ただあの強気な笑顔が好きなのだ。自分にとってはお守りのようになるあの顔が。
そんな事を考えて眠ったからだろうか、翌朝光紀は唯史の幻覚まで見てしまった。
それが本物だと気付いたのはその更に翌日で、
それからは、朝の登校時間が楽しみになった。
唯史は苛立っていた。
電車の時間を変える作戦は功を奏して初日こそ鼻の差で逃げられたものの翌日からは光紀と登校を共に出来るようになった。
誰かと一緒の方が楽しいからといつもそこに現れる唯史を光紀は素直に受け入れてくれて、今では毎朝楽しい会話を満喫している。
津村との事も決着が付いたのかあれ以来平和な時は続いていた。
しかしある名前が唯史に想いが報われない事を思い出させて、ささやかな幸せすら邪魔してくる。
ミサキ、その名前自体は光紀の口から漏れた事はなかった。しかし知り合いの女の人と言われた時瞬間的に唯史の頭に浮かんだのは彼女だった。その人がいかに大切なのか、その人といかに親密なのかは手に取るように分かる。話の断片から察するに、唯史がまだ行った事もない光紀の家にも何度も上がり込んでいるようだった。
思い切ってそれは光紀の彼女なのかと聞いてみた事もある。その時は親戚のお姉さんだと言っていたが、不自然に開いた間が何よりも真実を伝えていた。
失恋はこんなにもはっきりとしているのに、光紀を見ると募るのは愛おしさばかり。
今まで簡単に女の子を弄んできた罰が当たったのかもしれない。
と、疲れ気味に家に帰ると。
玄関に見慣れない靴があった、どうやら来客があるらしい。女物パンプスだから姉の友人だろうか。
しかし居間の明かりがついている事を見るとそう親しいわけでもないらしい。
通りすがりに何となくその相手を確認してしまって、
(どうして、)
見覚えのある小顔美人は、微笑みを交えながら姉と話していた。