UP SIDE DOWN
その日から2人の奇妙な共同生活が始まった。
「おい、メシだぞ」
といってもまだ検査の終わっていない啓一は店に出る事ができない、よって勿論手持ちの金なんて一切ない。結局、何もできる事がないのでビスケット以外を食べる努力をすることにした。すると、
「まるで新妻だな」
既に身支度を済ませた柿崎が片眉をあげながら席につく。
嫌なら食べるなという言葉が喉まででかかって、啓一は慌ててそれを胸に収めた。柿崎が食べなければ食材費を請求できないからだ。といっても今日のところは家にあったレトルトに、ミックスベジタブルを飾っただけなのだが。
「これは、料理と呼べるのか」
妙にカラフルなハッシュドビーフに柿崎が嫌そうな顔をする。
「うるさい、だったらもう少しまともな食材をおいておけ」
そうすれば自分ももう少しましな食事にありつけると、啓一は逆に要求した。けれど、
「別に、俺はこれでいい」
言って指し示すのはあのカロリーフレンドだ。それは確かにハッシュドビーフよりも栄養バランスはいいかもしれない、けれど。
「長生きできないぞ」
「する必要もないしな」
その言葉にドキリとした、啓一だって長生きしたい理由なんてない。家族は捨ててきたし友達も薄情だ、女には不自由していなかったが恋人がいるわけでもない。
結局どこまで言っても自分は空っぽなのだ、そんな事を考えていると不意に柿崎が口を開いた。
「そんな顔するな」
「どんな顔だよ」
言い返しながら自分でも分かっている、今とても情けない顔をしている。柿崎は何も言わなかった、沈黙は同情なのかもしれない、でもそれが心地よくて。そんな自分が許せなくてまた、憎まれ口を叩いた。
「そう言う自分だって長生きする理由一つ持ってないんだろう」
挑発的に笑ったのは恐らく、否定して欲しかったから。けれど柿崎は、
「錯覚に生きるよりましだ」
人と人との繋がりや恋なんていう思いは全てまやかしだと信じ込んでいるのだ。はっきり言って啓一よりも余程重症だ。始めて目の前の男をを哀れんだ、だから調子に乗って、
「根暗なおっさんか」
「他人の事を言える立場か、野良犬」
言い捨てられて言葉に詰まる。会話が止まったところで、柿崎が食事に口をつけ始めた。
「うん、味付けは悪くないな」
そうは言うけれど、既製品を暖めなおしただけなのだ、誰が作っても同じ味になる。
「嫌味か、レトルトだ」
憮然としながら、啓一も食事を始める。そういえば暖かいものを胃に入れるのはどのくらいぶりだろう、ささくれ立っていた心が静まっていく。だからだろうか、
「材料があればこれよりうまく作れるのか、大した自信だな」
「うるさい」
皮肉を言われて怒ったような声を出すけれど別に本気で腹が立っているわけではなかった。と言ったものの料理なんてずっと食べるだけのものだった、それでも黙り込むのは負けたような気がして何とか口を開いた。
「レトルトでくれなしものがあるだろう」
「ほぅ、なんだ」
「さ、サラダとか」
「お前の料理のレベルは分かった」
柿崎は大きな溜息を付く、
「そう言う自分は出来るのか」
「自分で作るくらいならカロリーフレンドで十分だな」
言いながら柿崎はまたスプーンを口に運ぶが、それならば、
「何で、これはあったんだよ」
今食べているものは、確かに柿崎の家にあったのだ。素朴な疑問、すると、帰ってきたのは信じられないような言葉だった。
「『母』から貰った」
「母親、いたのか」
あまりにも生活観のないこの男に、その言葉はあまりにも似合わなかった。
「母親なしに生まれてくる人間は居ないだろう」
「いや、そうじゃなくて、お前って家族とかそういうの無縁そうだから」
そう言うと一瞬つらそうな顔を見せて、それから笑った。
「やはりいい勘をしている、その通りだ。母と言っても血縁者じゃない、前にも話したこの町の世話役みたいな人だよ」
「なんだよ、それ」
啓一も数ヶ月を過ごしてきた、この欲望と貧困ばかりの町にそんなものがいるとは思えない。
「さぁ、俺も実際には会った事は無いからな、よくは知らん」
知らない相手からどうして食べ物を貰うのかそれは理解できないが啓一はそれ以上尋ねるのはやめた。ここにものがある以上実在はするのだろう、だが聴けば聞くほど相手への嫌悪が募っていく。人間は誰でも自分が一番大事なのだ、一見そう見えないのは偽善者だけ。偽善者なんてくそくらえ。
今はとにかく目の前の食事だと無言でスプーンを動かし続ける。そして食べ終われば柿崎と顔を合わせている必要はない、啓一は食器を持って席を立った。しかし、
「おい」
「なんだよ」
わざわざ付き合う義理なんてないと、啓一は柿崎を睨みつけるように振り向く、しかし返ってきたのは信じられないような言葉だった。
「今夜から調教を始める、気になる用ならシャワーでも浴びておけ」
『調教』、彼の店で働く事を承諾した以上その意味するところは明白だった。男の欲望を満たすような技術を仕込まれるのだ、それは普通の人生を送ってきた啓一にとっては目も眩むような屈辱。
けれど、今更後には引けない。それでも、
「検査はまだ返ってきてないんだろ、俺が病気を持ってない保障なんてないぜ」
心の準備くらいはさせて欲しかった。そんな精一杯の抵抗に、
「俺はセーフティーセックスは心得ている、問題ない」
柿崎は不適な笑みを浮かべるのみ。
「あんたが、抱くのかよ」
無様にも小さく震えが走り始めている啓一の身体を値踏みするような目で見て、柿崎は質問には答えない。その代わり、
「その身体にはこれからのお前の人生がかかってるんだ、精々俺を楽しませてみろ」
見せた笑みからは、確かに雄の匂いがした。