☆オトコイ☆




 突然の2人の喧嘩に弘貴は呆気にとられて、けれどすぐに自責の念に囚われる。
「止めてください、俺、大丈夫ですから」
 自分の所為でこの二人まで険悪になるなんて申し訳なかった。二人の腕をそれぞれ掴んで何とか笑おうとする。そんな弘貴に高時はあやすように笑って鷲見の手からチケットを取ると渡してくれた。
「おい」
 鷲見は怒ったけれど、高時はそれを完全に黙殺した。そして、
「これ、この馬鹿が酷い事言ったお詫び。恋人同士ならさ、こういうの一緒に見に行ってみたらどうかな。ちょっとした刺激になるかもしれないよ」
 その言葉を高時が善意で言ってくれている事はよく分かっていた。けれど、
「いいんです、駄目なんです。映画、嫌いみたいだから」
 断られたばかりの映画に誘えるはずがない、しかしそこで、高時が言った言葉は弘貴には理解不能のものだった。
「あ、俺も実はそうなんだ、二時間で千円以上取るなんて絶対間違ってる」
「は?」
「だから、タダ券あるって聞いて絶対行きたいって思ってたんだけど。これでも一応受験生だしね、今日は大人しくしておく事にした」
 だからこのチケットは必要がなくなったのだと高時は強引に弘貴の手に二枚の紙片を握らせてしまう。


意味が分からない。


 自分達はまだ学生割引で映画の値段もそんなに高くはない。それに、高時の事は知らないけれど鷲見の家はかなりの実業家で二人分出すのも余裕のはずだ。
「俺が奢ると、関係が対等じゃなくなるんだとさ」
 そんな弘貴の気持ちを読んだのか、鷲見が面白く無さそうに言った。
「そんなに見たかったんですか、この映画、だったら」
 弘貴はチケットを返そうとする、けれど高時がそれを許さなかった。
「それはあげるって、決めたから駄目」
 ぴしゃりといえば、鷲見が恨めしそうな顔で高時を見つめた。どうやら実は鷲見の方こそこの映画を見に行きたいらしかった。
 やっぱりチケットは返した方がいいのだろうかと悩んでいると、
「じゃ、俺達は行くから。恋人さんに宜しくね」
 高時はあえて彼氏とは言わずに片目を瞑ると鷲見を連れてその場を去ってしまう。これでチケットは返せなくなった。
 とはいえ待ち合わせに三十分以上遅れてきている克彦がそれを受け入れてくれるかどうか。誘うのすら気が重い。
「はぁ」
 鷲見たちと会う前と同じ大きな溜息をつい付いてしまうと、

「何しけた面してるんだ」

 これだけは絶対聞き間違えるはずのない声だった。
「克彦」
 今日の克彦はタンクトップにウォッシュ加工のブラックジーンズというラフな格好だった。けれどタンクトップから覗く汗に濡れた肌の下には豊かな筋肉が見て取れて、とても男を感じさせる。ピアスの穴は開いていないから、装飾品は右にぶら下げたウォレットチェーンだけだ。けどそのシンプルさが帰って克彦の容姿を引き立たせていた。
 何度見ても私服の克彦は格好いい。
 思わず見惚れていると、
「あいつらに、何か言われたのか」
「え?」
 もしかして、鷲見たちとの話が終わるまで待っていてくれたのだろうか。訊ねれば、
「俺が会いたくなかっただけだよ。それ以上は聞くな」
 と、釘を刺されてしまった。けれど他人ならば会いたくないなんてわざわざ言わないだろう。どちらかと知り合いだったのだろうか、疑問に思うけれど弘貴は克彦の事を何も知らない。
 そして今も、聞けば機嫌を損ねてしまうかもしれないと思ったら言葉が出てこなかった。
「とりあえず、公園でも行くか」
 克彦は黙ってしまった弘貴を気遣うようにそう言ってくれた。克彦と会うときは大抵公園などで少し話した後、ウインドウショッピングを楽しんでファーストフードに入る。
 デートは何時でもそんなコースで、子ども扱いされているような気分になった。
 けれどやっぱり反論できなくて、そのまま二人は人気のない公園に向かった。夜ならば恋人達が愛を深め合う行為をするこの場所も、昼は子供一人いない静かな空間だ。
 木陰のベンチに座って辺りを見ると、暑さの所為か鳩1羽歩いていない。
 余程暑いのか、克彦も先ほど路上で配っていた紙うちわで自分を扇いでいた。そして時々、弘貴のほうにも風を向けてくれる。
「その、ありがと」
 頼んでもいないのに、額に滲む汗に気付いてくれた恋人に弘貴はお礼を言う。心はこんなに遠く感じるのに、どうして彼の優しさはこんなに自然なのだろう。

嬉しいのに、切ない。

「あ、そうだ」
 その気持ちを断ち切るように、弘貴は先ほど貰ったチケットを取り出した。無駄だとは思うけれど高時たちの行為を無駄にしたくなくって、克彦を誘ってみる。
「先輩から貰ったんだ、良かったら行かないか」
「ん? 割引券か? なら行かねぇぞ」
「じゃなくて、タダ券なんだけど」
「じゃ、行く」
「え?」
「タダならたまには、映画もいいじゃないか」
 考えても見なかった答えだった。けれど克彦は嬉しそうに久しぶりの映画だと笑っている。
「恋愛映画だけど、いいの」
「タダならいいだろう」
 高時の言ったとおりだった、どうやら克彦が映画を断ったのはお金の事だったらしい。
 なんだか気が抜けて、弘貴は思わず噴出してしまった。すると、
「よかった」
「え?」
「お前、今日はあんまり笑わなかったからさ」
 克彦は自分の事のように楽しそうに笑ってくれる。克彦のこういう一面を知るたびに、弘貴は益々彼に惹かれていくのを止められなかった。
「克彦と一緒に映画に行けるのが嬉しいだけだよ」
 そう言うと克彦はそうかと言って笑っていた。
 それだけで、不意に先ほどまでの悩みがどうでもいいような気がしてきた。克彦がどこの何者なのかは、分からないけれどこの笑顔を見せてくれるだけでいい。
「それじゃあ行こうか」
 上映時間が分からないからとりあえず映画館に行ってみようと二人は歩き出した。


久しぶりの映画は、運がいい事に丁度上映時間だった。二人は慌てて招待券を引き換えて指定の座席に座る。
明かりの落ちた空調の聞いた部屋は、隣に座る相手の体温を嫌でも意識させた。耳を澄ませば息遣いまで聞こえそうな距離にいるのだと思うと、画面に集中できない。
映画の中では、静かな音楽に乗って二人の出会いを描き始めていた。
偶然の出会いから、極自然に二人の距離が近づいていく。
男と女というだけでこれほどうまくいくのかと思うと、やっぱり悔しい気がした。見ているのが辛くなって、隣の克彦を見ると意外にも真剣に画面に見入っている。
普段は見せてくれない表情が珍しくて、弘貴は画面よりもその横顔から視線が離せない。
辺りが暗い所為か、普段なら怒られるくらいずっと見ていられた。だから、
「映画、よかったな」
エンディングテーマまでしっかり見た後に克彦にそういわれた時、少しだけ後ろめたかった。でも、
「気に入ってもらえてよかった」
「ああ、子供の頃のアニメ映画以来で、やっぱり映画は迫力あるよな」
上機嫌の克彦は、弘貴が映画を見ていなかったことに気付いていないらしい。まるで子供のように、興奮気味に感動を語ってくれる様子が新鮮だった。
映画一つでこんな風に心を動かせる様子が、なんだか羨ましかった。けれど、自分にはないその感性の一つ一つが、弘貴を新しい世界に連れて行ってくれる。
「どっか、入ろうか」
その様子をもっとゆっくり見たくて誘えば、
「ああ、じゃあそこでいいか」
克彦が選んだのはいつもと同じチェーンのファーストフード店だった。克彦は自分で店を選ぶ、けれどそのくせ頼むのは決まって百円の飲み物だけだ。
最初に一緒に入ったときに、ジャンクフードは体に悪いと言っていたから弘貴は言葉通り受け取っていた。けれど、
「これ、食べ切れなかったからよかったら、食べてくれないかな」
ふと思いついて、わざと大きいサイズを買ってみたポテトを差し出すと、そう切り出してみると、
「ああ、じゃあ遠慮なく」
普通に食べた。
その時になって弘貴はようやく気がついた、もしかして克彦はただ単にお金を節約していただけなんだろうか。
まさかと思ったけれど、そう考えてみると今までのデートプランなどにも納得がいくのだ。確かに、これだけ頻繁に会っているというのに弘貴の財布は全然軽くなっていない。
弘貴の学校でも親の経済力の差というものは確かにあって、けれどそれに触れる事は失礼だとされていた。そういった質問を、絶対に嫌われたくない相手に投げかける、それはとても勇気のいる事で、
けれどずっと一緒にいたいからこそ相手の事を知っておきたいという気持ちは止められない。
「克彦って、もしかして凄い倹約家?」
服装や態度からはお金が無いようには見えなかったから、言葉を選んで尋ねる。すると、
「ん? そう言うわけじゃないけど、俺が使ってる金はさ、家族が苦労して稼いだものだから・・・・どうした?」
「いや、そう言う事、俺考えた事もなかったから」
「いいんじゃないのか、両親ちゃんと揃って心配する必要ないならそれに越した事はないさ」
その言葉に、少しだけ克彦の事が分かった気がした。想像でしかないけれど、克彦はもしかしたら問題のある家庭に育ったのかもしれない。
自分とはあまりに違う境遇、共通点なんて何もない。
そんな彼と本当に何時か、対等な恋人として付き合うことができるのだろうか。鷲見達はそれが出来ているようだったけれど、自分達がそれを出来ているとは思えない。
情けないまま、言葉も出ずに弘貴は俯くしかなかった。
不意に、克彦の腕が弘貴を包んだ。身長は十センチ程しか違わないはずなのに、その割に長い手はすっぽりと弘貴を抱きこんでしまう。
求めていた温もりに、涙がこぼれそうだった。それを必死でこらえて、
「何」
強がって、何とか訊ねれば。
「辛そうな顔、してたから」
その答えに、弘貴は笑い出しそうになった。ただ哀れな顔をしていただけで、克彦はその優しさを与えてくれるのだ。
「同情なんて、いらない」
悔しくて、分かっていても悦んでしまう浅ましい自分の心が情けなくて強がれば、克彦は小さく笑った。
「それでも温もりは、偽者じゃないだろう」
抱きしめる両腕に力がこもる。
本当に、克彦の言うとおりだった。
人の体温はどうしてこんなにも無条件に不安を和らげてしまうのだろう。
たったそれだけの事なのに、何時しか弘貴の心からは辛い気持ちが消えかけていた。




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