会いたくて、

 

 

その日は本当に散々な一日だった。大学に入って1年が過ぎ初めて付き合った彼女に振られたばかりで、憂鬱に過ごした週末の5限に顕微鏡。要領が悪いのか結局最終の8時までピンク色の組織像を書かされた。
外は春雨、降り始めが遅かったから傘はない。
走る元気もなくてマンションに付く頃にはしっかり濡れていた。
帰ったら帰ったでこんな日に限ってしつこい勧誘の電話。
年に数度しかないだろうと思われるほど最悪の夜だった。
電話が鳴ったのはそう言う時だったのだ。
「もしもし、」
どうせまた勧誘だと思っていたから酷く拒絶的な声だったと思う。
「あの堀口さんのお宅ですか」
「そうだけど勧誘なら間に合ってるから、それじゃ」
相手の声は俺の気持ちとは裏腹に明るかった。俺は無性に腹が立って用件も聞かずに切ろうとした。それなのにそいつは、
「すいません、お疲れのところ。やっぱり学校とか大変、ですよね」
その声音があんまり真摯で優しかったから、俺は電話を切る事が出来なかったんだ。
「俺で良かったら、愚痴、聞きますけど」
今思えばどうしてそんな事をしてしまったのか分からない。でも、その時、俺はその言葉を聞いて堰を切ったように不満をぶちまけてしまったのだ。
理由は偽善ぶった態度がどこまで続くのかという荒んだ気持ちだったのかもしれないし、ただ単にそんな風に優しく受け入れてくれる言葉に植えていたからかもしれない。
ひとしきり話して、心が落ち着いて俺は初めて、
「悪いな、愚痴ばっかり聞かせちまって、」
冷静な言葉を発せられるようになったんだ。その俺にあいつはよりにもよってこんな事を言いやがった。
「さっきより、お元気そうですよね、良かったです」
電話の先にある微笑みすら感じさせるような口調で、素直な心をそのまま洗わしている声に、心がほぐれた。
「先輩?」
呆然と黙り込んでしまった俺に電話の相手はそう呼びかけた、それで初めてこいつが高校の後輩だと言う事を知る。
レアな学部や大学に入ると、時としてこんな風に高校の後輩から電話がかかってくるのだ。去年の受験発表でも何人かが結果を気にしていた。こいつもきっと受験のあれこれを聞きたかったに違いない、それなのにどうでもいい愚痴に付き合わされて。
「悪い、ちょっと色々あって苛々してた」
「いえ、そんな、率直な話が聞けて凄く楽しかったです。おかげでますます先輩の居る大学に行きたくなりました」
綺麗な奴なんだ、と。そう思った。自分の心の中まで浄化されたように、こいつの力になってやりたいと思った。
「今更だけど、何でも聞いてくれ。受験は無理だけど、推薦の話なら少しは分かる」
「ありがとうございます。でも、俺現役じゃないですから」
「って言う事は一浪か。」
「仮面ですけどね。」
なるほど、一度は大学に行ったけど合わなかったって奴か。そう言えばうちの高校は学力に関わらず付属の大学に行ける分そう言う奴がでる事があるって聞いた事がある。
「そっか、力になれなくてごめんな」
そう言った時、俺は確かに落ち込んでいた。顔も知らないこの後輩に何かしてやりたくて仕方がなかったのだ。そのうえ、
「いえ、先輩には大学に入りたいっていう力を貰いましたから」
 他の奴が言ったら苦し紛れにしか聞こえなかったであろうフォローに最後まで救われて。
 俺は世話になりっぱなしのまんま電話を切ったのだった。

 


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