会いたくて、
「馬鹿野郎! 何考えてんだ」
その剣幕に依田達もこっちの世界に帰ってきた。大野はというと、一瞬だけ顔を強張らせて、けれどすぐポーカーフェイスに戻ると、
「別に、俺がどうしようといいだろ」
急に氷点下に下がる声、明らかに柿坂を牽制している。これ以上聞くなと拒絶している、けれど柿坂にそんな空気が読めるはずもなく。
「俺は何考えてんだって聞いてるんだ、どうしてレギュラー辞退なんてしたんだよ。あんなに毎日一人で走りこみして、練習してたのに」
耳を疑ったのは絶対俺一人じゃなかったはずだ。
「どう、言う、ことだ」
掠れた声で依田が聞く、そのただならない様子に柿坂もようやく尋常ではないこの場の空気に気付いたのか、絶句して立ち尽くす。
「言葉通りですよ、部長からレギュラーの内示があって断った」
「どうして」
涼しい顔の大野に掴みかかったのは水野だ、俺はタッチの差で出遅れた。
「練習も真面目に出ない一年生がレギュラーなんておかしいでしょ」
大野は小さく笑いながらすらすらと答える。
「実力だろ、それに練習はしてたって、今」
水野は納得できなくてさらに食って掛かるけれど、大野の意思は固かった。
「どんなに一人で練習しても、部活の時間に体を空けられないんじゃやらないのと同じでしょう。それに、俺はそんな基本的な規律も守れない部活に居たくないですよ。頑張ってる人が報われない、それって何か間違ってます」
強引過ぎるほどの持論は、大野がまだかつての痛みを消化し切れていないことの現われに見える。でも、そんなことより
「何で」
それを先に言わなかったんだよ、言ってればこんな目に合う事だってなかった筈だ。事情を知らない柿坂の手前言葉を止めた俺の問いかけ、けれど大野には伝わったらしい。
「それで納得できるような人なら始めからこんな事しませんよ。短い間でしたけど、俺は先輩達がそれくらいバスケを好きなんだって感じちゃいましたから」
にっこり笑って、大野は部屋から出て行く。
状況に不似合いなくらいに平静な後姿、だからこそ余計に放っておける筈なんてなくて俺は後を追った。すたすたと歩いて、廊下の角を曲がって、急に様子がおかしくなる。強かった足取りが弱弱しくなって、手すりを握っている手が白い。俺は慌てて駆け寄って。
「大丈夫か」
ああ、くそ、こんな時だっていうのに気のきかない俺はそんな台詞しか口にする事ができない。
「少し、怖かっただけです」
大野は、笑っていた。がたがた震えて蒼白な面持ちで。
俺の前でまで、強がるな。
「泣きたいなら泣けばいいんだよ、そうやって全部外に出しちまえ、そしたら全部俺が受け止めてやるから」
俺は必死に気持ちを伝える、それなのに、
「でも目の前でなかれたら困るでしょ」
悟ったような顔。
直感した、こいつはまだ自分を殺してる。
「そのまま倒れられる方がよっぽど困る。それに、・・・心配なんだ」
わかって欲しかった、俺がただ大野の心を少しでも軽くしたくて少しでも癒したくて。それだけが一番の願いなんだってこと。けれど帰ってきたのは卒のない笑顔と。
「大丈夫ですよ、ギャラリーがいれば俺、まだ演じきりますから」
他人行儀な言葉。
これ以上言わせたくなかった。俺は衝動的に大野を抱き寄せて、口を塞ぐようにその顔を俺の胸に押し付けてしまう。自分より少し低い体温を腕の中に感じながら。
「先輩命令だ、いいから泣け」
そう言った瞬間、胸に熱いものがしみこんでくるのを感じた。
静かな泣き声だった、声帯を避けてしゃくりあげる声が時々漏れるだけ。
息を止めてるんだ、隠れて泣くことに馴れてる、泣く時にすらこいつは自分を律してる。
「大した奴だよ、お前は」
ゆっくりと抱きしめて背中を撫でてやった。
何も言わないけれど大野はぎゅと俺の胸にしがみついてくる。
「肩肘を張るな、ついててやるから」
そうやってくっついている、2人分の力で立つ。
いつも俺に力をくれる大野を支えられるのが嬉しかった。
しかし、と言うか当然と言うか甘い時間は続かない。
「お願いがあります」
そう言った大野はもう冷静で、でもとてもすっきりした顔をしていた。
「なんだ」
何でも言ってくれ、お前が笑ってくれるんだったらどんなことでもしたい。俺は意気込む、けれど、
「依田先輩達のこと、お願いします、かっと来てつい言い過ぎちゃったから」
こんな時まで人の心配をするな。
「お前は被害者なんだろ」
人のことばかり考えている大野を、俺は責める。すると、
「過剰防衛だったんです。どうかお願いします」
深々と頭を下げて自室に戻ろうとする大野、しかしその足取りは頼りない。
「分かった」
これ以上何を言っても無駄だ、こいつは強情だから。おれは大野が部屋に入るのを確認してから、
「柿坂、大野についてやってくれ、それと打ち上げは八時からだからな七時半にロビー集合だ」
自分の部屋に戻って指示をする。
打ち上げのことなんてすっかり忘れていたのに気付いたらそう言っていて。我ながら冷静だ、と言うより少しでも日常の空気に帰りたかったのだろう。だれよりも、俺自身が。
茫然自失気味の上級生達を何とか座らせていた柿坂は、その言葉に急いで大野を追いかけた。