会いたくて、
もしもそれを聞いたのが三ヶ月前ならきっと俺は頷いていただろう。家を出て一人暮らしの独り身はやっぱり寂しい。でも今日改めて分かってしまったから、
自分の気持ちがどんなに頑張っても変えられないと思い知らされたから、断った。
「悪いけど、無理だ」
「フリーなんでしょ」
由美子は俺の答えが信じられないと眉を吊り上げて怒る、だから本当の事を言えば、
「片思いなんだ」
「嘘」
絶句して俺をマジマジと見るその顔はもう評判の美女なんかじゃなかった。
でもその顔は一瞬だけで、一度目を閉じて開いた後にはいつもの澄ました笑顔に戻っている。
「応援してあげるから、どんな子か教えてよ」
「いいのか、その親友は」
「いいのよ、ちょっとした義理だから、それよりどんな人」
「どうだっていいだろ」
どうしてそんなに気にするのか俺には理解できない、でも本当の事は言えるはずないもんな。だからのらりくらり交わそうとしていたら。
「教えてくれなかったら昔のこと全部ばらすわよ」
どういう流れだよ、それは。別に話されて困られるような事はしていない、でも、彼女との事を大野に聞かれるのは避けたかった。困り果てて、
「何でそんなに気にするんだよ」
由美子にしてみれば俺は過去に捨てた男だ、こんなに執着するなんて理解できない。すると、
「義巳が私を愛さない男だったからよ」
信じられないような答えが返ってきた。好きじゃなかったら振られてあんなに落ち込まなかったし、そもそも付き合うことだってしなかった。
「俺は好きでもない相手と付き合うような男だと思われてたのか」
もしそうだとしたら悲しすぎる。
「違うわ、でもあなたは他の人と違って私の機嫌を取らなかった、言うとおりにしてくれなかった」
「それが愛だって言うのか」
だったら悲しすぎる。
「少なくとも今の彼とあなたの前の人はそうだったわ」
こいつは人のために自分が何をしようとか思わないんだろうか
いや、違う。こいつはこいつなりに人に好かれる努力をしてるんだ。自分が決めた完璧な女になる為に、化粧立て服だっていつ見ても由美子は綺麗だった。そう言う生き方もあるんだろう。
そんなこいつの生き方を否定する権利なんて俺には勿論ない。だから、
「いつも回りの事ばかり考えて我慢してあわせて、でも自分の意志だけは絶対曲げないんだ。相手の事を気遣いながらも自分を大事にしてる。俺が好きになったのはそう言うやつだよ」
俺に言えるのはこいつとは正反対の大野の生き様だけだ
「惚気てるの」
「冗談、手に入らない高嶺の花だよ」
「なんか自己完結しちゃってるのね、私の出る幕はないか」
そう言う顔がどこか悔しそうに見えるのは気のせいだろうか、でも気が付かない振りをしなくちゃいけない。それが俺に出来る唯一のことだから、
「気持ちだけ貰っとく」
「どういたしまして」
由美子は振り向かずに明るい店内に戻っていった。享楽的な生きかたは彼女の望みなのだろう。でもそれと同時にそんな自分を心から愛しているわけではないのかもしれない。
だから多分自分に夢中にならなかった男の恋の相手が気になるのだ。そこにはきっと自分に足りないものがあるはずだから。でも分かってしまえばそれは自分には無理なんだと悟る。
今目の前に広がるイミテーションの都会のように、背伸びする事をやめられない。
きっぱりしていて、でも弱い女なんだ。いつでも周りを試してないと安心できない、彼女を受け止められる広い男が現れればいいと真剣に思った。
もうあの騒がしい店の中に戻る気はしなくてそのまま俺は夜の街を見つめる。すると、
「先輩」
不意に声をかけられた、声に振り向けばそこに立っていたのは居るはずのない人物
「なんで」
「夜風に当たりに着たんですよ」
そう言うと大野は俺の隣に立って、そのまま二人で黙って街の灯を見る。それは郷愁を誘う田舎の風景でもなければロマンティックな夜の宝石箱でもなくて、帰って空々しく作り物めいていた。
「今の人、もしかして先輩の昔の彼女ですか」
「え」
どうして分かったんだ。俺はマジマジと大野の顔を見つめる。すると大野は慌てたように、
「すみません、変な事いって。なんだかんだ言って酔っちゃってるのかな」
そう言い訳するけれど、その顔はいつも通りでとても酔うっているようには見えない。この前の飲み会の時にも思ったが、こいつは本当は酒強いんじゃないのか?
でも素面だからこそ恐縮している大野の顔に胸が痛んで、
「当たりだよ」
肯定の言葉は思ったより素直に出た、終わった恋のことなんてどうでもいい。けれど
「良かったです。お元気で」
突然そんな事を言われて、俺は違和感を覚えた。
「誰が落ち込むんだよ」
「2人ともです。先輩、あの人のこと後悔してたみたいだから」
どうしてこいつがそんな事を知っている、俺は食い入るように大野を見た、そして
「あ」
静かで穏やかな表情、きっとあの時もこんな顔をしていたんだろう。俺が不満をぶちまけてしまった電話の相手は大野だった。
「あの時は、格好悪いところばかり見せちゃったな」
本当、どうして恋の相手に限って醜態を晒してしまうんだろう。
「いいですよ、お役に立てて光栄です」
だから誤解を招くようなことは言わないでくれ
「そういえば良く出てこられたな」
俺は慌てて話題を変えた。今は俺も酒が入っているから、何を言ってしまうか分かったもんじゃない。大野は右手に持っていた携帯を目の前あげて。
「同年代だったらこれで十分ですよ」
「って、何に使うんだ」
「着信の振りをして出てくればいいんです」
意外だ、こいつがそんな器用な事をしてたなんて。
「馴れてるんだな」
「顔色を伺うのがうまいだけですよ」
褒めているのに大野はどこか自嘲気味な顔を作って答えた
「顔色?」
「そう言うの得意なんです、人の思惑通りに動けば気分を害さない、我慢できそうなラインの中でならこっちの要望も通る」
大野は理路整然と、説明する、けどそれってなんか
「肩の凝りそうな生き方だな」
思わずはっきり言っても大野は笑顔のまま。
「馴れてますから」
おい
「それは問題だぞ」
「はい、だからここに来たんです」
「ここに?」
「家を出たくて」
さらりと大野は言うけれど、それってなんか悲しい。まるで家族が怖いみたいじゃないか。自然と曇る俺の顔に、大野はにっこり笑って。
「だって一人暮らしなんてこの時期しか出来ないですよ」
これ以上は立ち入るなって事か。
「一人暮らしも大変だけどな」
俺もそれに合わせて、この話はそこまで出終わった。それから取りとめのない事を話していると、当然話題はバスケのことになる。
「そういえば再来週の大会ってどんなのです? 全日本とかあれとはまた別ですよね」
なんて当然のように聞いてくる大野。
「それ、絶対他の奴らの前でいうなよ」
流石にここまでレベルの違いを見せ付けられると皆もいい気分はしないだろう。
「どういうことです?」
まだ、分かっていない大野に、俺は説明する。
「俺達が出るのは、関西薬学生バスケットボール大会だよ。うちは、特殊な学部だからな、そう言う大会にしか出ないんだ。結構シビアでな、総合大学のバスケ部でも薬学部の学生以外は選手登録できないんだ」
「なんか、閉鎖的ですね」
確かに、大野の言うとおりだ、でも、
「仕方ないさ、俺達みたいな学部だとどう考えたって体育大や文系の奴らは練習できる量が違う。だから俺達は俺達なりに競う。どんぐりの背比べだって無意味じゃない」
「妥協じゃ、ないんですか」
「妥協してるさ、でも優秀な人間以外頑張っちゃいけないなんて法律はない。出来る範囲でいいんだ、バスケが一番じゃなくていいんだ。ただ大学の四年間を仲間と共有して燃えていたい」
なんか我ながら随分くさい事を言っている気がする。けれど大野は真剣で、
「練習時間が取れなくてもいいんですか」
痛いところを突いてくる、練習時間が思い通りに取れなくて一番悔しいのは俺自身なのだ。でも、俺の将来の夢は選手じゃなくて科学者だから。
「仕方ないさ、いい薬剤師になるのが一番大事なんだから」
それだけは曲げない、目標は見失わないと告げる。
「何の役にも立てないかもしれないし、途中で投げ出すかもしれなくても」
なおも繰り返す大野に、
「やりたいからやるんだ、無理は言えないよ」
そう笑って俺は再び夜景を見た、大野も同じように視線を街に移す。でも大野の目はそれよりずっと遠くを見ている気がした。俺には追いつけない、遠い遠いどこかを、そして、
「お願いします」
不意に、頭を下げた。
「俺も、仲間に入れてください」