会いたくて、

 

 

 

大野はなびかなかった。
柿坂の執拗とも言える毎日の勧誘にも、そして他のどんな部からの誘いにも。
その中にはあいつが入りたがっていた陸上もあるが見向きもしなかったと人伝に聞いた。
見かける度、俺は声をかけそうになる自分を押さえて殊更他に視線を移した。
欲求不満で苛立つ事が多くなったのは分かっていたから、それを勉強にでもぶつけようと思ったけれど。気が付いたらいつもあいつのことばかり考えてしまって、授業だって全然頭に入ってこない。
自己嫌悪で、生きていくのが嫌になりそうだった。
「怖いぞ、顔」
自分でもぴりぴりしていると思う俺に、冗談交じりに声をかけてくる奴がいる。
「だから睨むなって」
振り向いた俺に、笑顔で押し切ろうとするのは勿論宮下だ。
「いや、あれどうなったかなって思ってさ。ほらお前こないだ買った服サイズあわないからくれるって言ってただろ」
「あ」
手元にないからすっかり忘れていた、お袋がサイズを間違えて送ってきた服はこいつにやる事になってたんだ。あの夜に丁度良いからと大野に着せてやってそのままにしていた。
「悪い、忘れてた」
たぶんまだロッカーだよな。生真面目な大野がまだロッカーに入れに来ていないとは思えない。
「いや、別に無理ならいらないけど」
宮下は気を悪くした様子もなくそう言う、けれど俺としては大野が来た服なんて家においておいたら何をしてしまうか分かったものじゃない。
ここは是非宮下に押し付けて俺の煩悩の種を減らしたかった。
「絶対、明日持ってくる」
俺はきっちり念を押す、本当は今すぐにでも鳥に居て渡してしまいたかったがそれも少し怖いからな。一応は状態を確認しておかないと変な跡でも付いていたら笑えない。
俺は宮下と別れて、一人でロッカーに向かった。
ステンレスの小さな扉を開けると、そこには小綺麗な紙袋が置いてあった。こっちの方では見かけないそのロゴは、前に東京で見た事があった。
中身は勿論大野に貸したあの服で、ただ洗濯した上にのりまで利いて置いてある。俺も大概だけど本当にマメな奴だ、服の上には小さな封筒まで乗っていた。開けてみるか?
しかし知り合いが適当に通り過ぎていくロッカーの前というのはさすがにちょっとまずいよな。
いや、どうせ大したことは書いてないんだろうけど。
それでも大野から貰ったものだ、俺は今日は誰も居ないはずの部室に向かった。
 そして家で開いた手紙には意外な内容が綴られていた。





堀口先輩へ
この度は本当に何から何まで面倒を見ていただいて、ありがとうございました。
記憶はないのですが、俺はどうも酒癖が悪いらしいので先輩にも凄く迷惑をかけた事と思います。
あまりの事に先輩は、呆れているのかもしれません。でも、せっかく同じ大学に来た先輩との縁をこれきりにはしたくないので。
お願いですから、忘れてください。
変な事を言って済みません。心当たり無いようでしたら、それこそ本当に嬉しいんですけど。
お世話になってばかりで、もし、俺に出来る事があったら何でも言ってください。
助けて貰った、お礼がしたくて、

4月8日大野裕也



 

初めて見る大野の字は少し癖があって達筆っぽかった。
その内容に、俺は気が抜ける。
大野は、もしかしたらあの夜何があったのか気が付いているのかもしれない。けれど、それはあいつにとっては珍しい事じゃないんだ。
激しい嫉妬と絶望が俺を襲う。
大野のあの綺麗な身体を知っているのは俺だけじゃなかった。そしてこんなにも心揺らされているというのに、大野にとっては本当によくある事故の一つでしかなくて。
あんなに綺麗なくせに、なんて酷いんだろう。
そしてそれでも傍に居たいというなんて、どこまで残酷なのだろう。
けれど心のどこかに安堵している自分が居た。
罪深いのは俺だけじゃなかっった、隠し通さなければならないと思っていた秘密は大野を傷つけるものではなかった。
本当に、ここ数日の悩みが一気に身体から抜けていくみたいだ。
そうか忘れる事、それが大野の望みなのか。
心にぽっかり穴が開いてしまったようだった。
無くすには辛い、思い出は俺には大切なものだった、でも、酔った上のその他大勢としてでも大野を手に入れた記憶を捨てる事なんて出来ない。
だから、卑怯だけど蓋をしよう大野の言う通りに何もなかった振りをして、あいつの傍にいればいい。
傍に居られるなら、それでいい。
先輩と後輩でしかない関係は苦しいけれど、でも大野との縁が切れるよりずっといい。
そうだ、やっぱりあいつを勧誘しよう。
許してくれるというなら甘えて、一緒の時間を過ごせばいいんだ。
よしそうとなったら善は急げだ、俺はクラブ棟をでて一年の教室に向かった。


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