小説みたいな恋をして
目を覚ますと、光紀は隣で安らかな寝息を立てていた。
誰かと迎える朝は初めてではないけれど、こんなにも幸福を噛みしめた事は今まで無かった。恋をするというのはきっとこういう事なのだろう。
無防備な寝顔、見つめていると触れたい衝動が起こってきて唯史は部屋を出た。昨日は結局あれから気を失うまで貪ってしまったのだ。出来るだけ休ませてやりたい。昨日の内体は拭いておいたからそう不快という事もないだろう。
クローゼットの中には女物しか入っていなかったから着替えは隣の部屋から持ってきた。どうやらこの部屋は帰ってこないと言う母親の寝室だったらしい。光紀の部屋はその隣のドアで本棚と机とパソコンしかない部屋が彼らしかった。
ダイニングキッチンの窓から見ると、雨はもう止んでいる。それならばと服を着替えて買い物に出た、折角だからちゃんとした朝食を食べさせてやりたい。
台所で下拵えをしていると、寝室のドアが勢いよく開いた。
「おはよう。」
愛おしい姿が目の前にある事が嬉しくて、笑顔で言うと光紀は、
「気は、済んだ?」
酷く冷たい声だった。その意味がキチンと頭に入ってこない。だから無視する。
「朝飯、買って来たんだ、食おうぜ。」
「止めてよ。」
光紀は深く俯いた。決してこちらを見ない態度に、拒絶が現実として感じられてくる。唯史にはその理由が分からなかった、自分達は昨夜確かに結ばれたのに。光紀だって自分を愛していると言ってくれた。それは、偽りだったのだろうか。
「何言ってんだよ。」
好きだからこそ怒りが抑えられない。声が荒荒しくなるのを止められなかった。この腕の中にその身体を捕まえたくて唯史は光紀の方に踏み出した。それが恐ろしかったのか、光紀は怯えたように後ずさる。抱きしようとすると両腕で突っぱねられた。
「俺は雨下の事が好きなんだぞ。」
もう一度その思いを告げても光紀は顔すら見てくれない。
「身代わりなんて虚しいだけだよ。」
強引に上向かせると、光紀は全く表情のない顔で抑揚無く呟く。
全身から血の気が引いていくのが唯史にも分かった。光紀の心が自分にない、そう思うだけで寒気すら感じるようになる。紙のように白くなった顔を光紀は心配したらしい、優しく、微笑んだ。
「だって本当に好きな人の事を思い続けるんでしょう?」
そんな残酷な言葉で。
やはりまだ三崎の事が忘れられないのだ、身体は抱く事が出来てもその心が手にはいる事はない。唯史の腕から力が抜けた、するとそれを待っていたかのように光紀は離れていってしまう。
「忘れてあげるから。」
これからも友達で居よう。それは甘美な誘いだった。しかし、
「無理だ。」
その夜を忘れる事など、唯史には出来そうになかった。
「そっか、残念だな。」
光紀はケロリとした口調でそう言って笑った。胸が苦しかった、こんな結末になるならどうして自分は彼に会ってしまったのだろうか。それでも、
「お前に会えて良かったよ。」
「ありがとう。」
どんな顔をしているのかは深く俯いているので分からない。しかし光紀はそのまま信じられない事を言ったのだ。
「長谷川君の恋、実るといいね。」
たった今自分を振った相手に言われる言葉ではなかった。
そして、重大な誤解に気が付く。」
もしかして、光紀は自分が好きな相手の身代わりとして光紀の事を抱いたとでも思っているのだろうか。
「雨下が好きなんだ。」
本気でわかって欲しくて言い募った
「嘘だっ。」
唯史を睨む目の端には、涙が光っている。
「嘘じゃない。」
しかし、光紀の瞳から疑いが失われる事はなかった。
いったいどうすればいいのだろう、どうすればこの想いは伝わってくれるのだろう。もどかしさで、途方に暮れた。
その時、電話が鳴った。
しかし光紀は取る事が出来ない、電話に向かう道は唯史によって塞がれているのだ。「どいて」という一言も言えないまま、電話のベルは鳴り続ける。
7回、コール音が続いた後、応答メッセージが流れた。そして、
『おはよー光紀君。文化祭はどうだった? いい・・・』
三崎の声が聞こえた途端光紀は唯史を押しのけて受話器に駆け寄った。
「もしもしッ。後で電話かけ直すから。」
それだけ言って慌てて電話を切る。
「いいのかよ、相手、三崎さんだろ。」
唯史はやっと正気に返った、結局自分の思いが通じようと通じまいと光紀の心は三崎のものなのだ。だったら悔しいけれど光紀が少しでも笑える選択を応援した方がいい。その言葉に、光紀はこぼれ落ちんばかりに瞳を見開く。
「どうして、知ってるの。」
確かに、本来ならば自分が光紀の彼女を知っているはずがない。
「前に、ここに来た時あったんだよ。」
「嘘、いつ?」
「先月の半ば、お前が3日休んだ時。」
そう言われて、
「もしかして、あの時の新聞勧誘員。でも、どうして三崎さんの名前知ってるの」
「家でも一度会ってるんだよ。いい人だよな。電話でだってあんなに嬉しそうに話してたんだ。寄り、戻せるといいな。」
それは精一杯の強がりだった。それ以上は耐えられそうもなくて玄関に向かう。
「待って、」
切羽詰まった声に続いて背中に感じた体温。
「雨下、なにやってんだよ。人が折角諦めようとしているのに。」
「もしかして、長谷川君がずっと好きだった彼女持ち男の子って、僕?」
何を今更言ってるのだろうか。しかしはたと気付く、自分は失恋したとは言ったはずだが相手が男だとも彼女持ちだとも言った覚えはない。
「どうして?」
それを知っているのは自分以外には手紙を出した作家だけの筈だ。
しかし、そうだ、その作家を担当しているのが三崎なのだ。そして今度組んで漫画化をするのが自分の姉で、
あまりにもあり得ない結論に唯史は首を振った。あり得ない。
「ねぇ、僕なの?」
なかなか帰らない返事に光紀がしびれをきらして再度問う。
「だからそうだって言ってるだろ。」
振り返って言うと、光紀はその場にへたり込んだ。
「馬鹿みたいだ。」
呟いてたとうとするが、どうやらそれが出来ないらしい。仕方なしにと言う雰囲気で光紀は言った。
「僕の部屋の机の、大きい抽斗。」
そこを開けろと言う指示なのだろう、もう訳が分からなくなっていた唯史は取り敢えずそれに従った。そして見つけたものは。
「雨下、どうしてこれがここに?」
顔から火が出る思いで、光紀に駆け寄る。何故ならばそこで見つけたのは自分が天原雫に出したはずの手紙だったからだ。思いの丈を込めたそれを、どうして当の本人が持っているのか。
「僕宛の手紙を僕が持ってて何が悪いの?」
その言葉は、あり得ないと否定したばかりの事実を肯定していた。
「天原、雫。」
「そうだよ。」
「ええええええええええぇぇぇーーーっ。」
驚きなどと言うものではなかった、あんなにうまい文章がいったい高校生で書けるというのか、それより何より光紀は小説が苦手なんじゃなかったのか。投げかけていく疑問に説明を受けているとその事実は少しずつ現実味を帯びてくる。
「って言う事はもしかして、あの時三崎さんが言ってたホテルって。」
「何、あの会話聞いてたの? それであんな誤解なんかしたんだ。勿論作家の缶詰の事に決まってるよ。あの時は手違いで締め切りが迫ってて、本気で死ぬかと思った。」
それでは三崎と光紀はなんでもなかったのだ、でもだとしたらいったい光紀は誰に失恋したというのだろうか。尋ねると光紀は顔を赤くして人差し指を唯史に向けた。
「はぁ?」
「仕方ないだろ、君があんなに激しく他の男を思っているなんて手紙を受け取ったんだから。」
そう言う光紀の顔は真っ赤だ。しかし確かに、三崎となんでもなかったのなら相手が自分だと言う事には気づけなかっただろう。
それは分かる、しかし。
まるで小説のように、うまくいき過ぎている展開が信じられるわけがない。
「本当に辛かったんだからね、君が軽い気持ちで始めたあの短編の台詞に小説の中みたいに答えて。身代わりでもいいから抱かれたいと思っちゃうくらいに。」
それで納得がいった、二人とも台本を持っていたのなら劇がその通りに進行するはずだ。しかしどうして光紀が自分なんかに惚れてくれたのか分からない、そう言うと、
「rain。その名前で部誌に書いてる。」
そうして姉宛に渡されて本を読んで、やっと二人はお互いの気持ちを受け入れた。