小説みたいな恋をして

 

 

 


「着替え、俺のだけどここ置いとくな。」
最中にそんな声が聞こえて、上がってみるとスウェットが置いてある。そこから香る洗剤とは違ういい匂い。光紀の物だと思うと鼓動が早くなるのを止められなかった。その所為で、
「お湯、熱過ぎた? のぼせてるよ。」
光紀に見当違いな心配までされてしまう。
初めて見る光紀の家、入ってすぐのそこはダイニングキッチンのようで家電と棚の他には二人がけのテーブルが置いてあった。テレビはコーナーに置いてあって、今も控えめなアナウンスを流している。
「今夜は、帰るなよ。」
インスタントココアを差し出しながら光紀が言った。その言葉の裏にある意味を考えて、唯史は耳を疑う。だって、そんなに都合のいい事があるわけない。唯史の困惑とは裏腹に、
「俺も風呂入ってくるから、勝手に帰るなよ。」
光紀は至って平然とバスルームに消えていったのだが。
唯史は、なんとしても泊まるわけには行かなかった。大好きな子と一夜を共にして何もしないと言う自信は今の唯史にはない。この恋に関しては、どうしても自制というものが利かないのだ。しかし、
付けっぱなしになっているテレビを見てそれが無理だと悟る。難しい顔をしたニュースキャスターは台風のヤマが今夜である事を告げていた。流れる文字は、この台風ですでに死者が出ている事を伝えている。そして唯史の家に帰るまでの道のりには、そろそろ飛んでもおかしくなさそうな看板を持つ店はいくらでもある。それらの事は勿論光紀も重々承知しているはずで、さっきの台詞はそういうことだったのだ。
そうなるとやっぱり帰って機嫌を損ねるのは避けたい。
仕方がないのでテレビを見ていると、光紀はすぐに上がってきた。
自宅の所為か、身に付けているのは無地のパジャマでほっそりとした体つきが余計に強調されている。今は眼鏡をかけていないその顔が、お湯に当たって紅潮していた。
「悪い、こんなのしかないんだ。」
差し出されたのは機能ビスケットだった、各社の味が全部揃っている。何だか一瞬にして光紀の普段の食生活が察せられた。光紀は空いている椅子に座って早速ビスケットを頬張っていた、いつもこんな生活をしているのかと思うと痛々しさが込み上げてくる。
前を向くと襟元から胸が覗いている、濡れた髪と火照っている身体が艶かくして。同性だというのに目のやり場に困った。仕方なく唯史は無意味に凝視しながらビスケットを食べる。一箱では勿論足りなくて、二箱目に手を伸ばす、それが食べ終わる頃。
「はぁ。」
溜息に顔を上げると光紀と目が合った。じっと言葉を待っていると、
「長谷川君はさ、好きな人に振られたらどうする。」
「え、」
出てきた言葉の意外性に唯史が驚いた顔を見せると。
「ごめん、変な事聞いた。忘れて。」
光紀は青くなって下を向いてしまう。
「俺は、好きで居続けるよ。」
唯史は言った。その相手が光紀であるとは勿論言えないけれどもその決意を伝えられたのが、嬉しい。
「そっか。凄いね。」
そう言った光紀が寂しそうな顔をするから、唯史は何があったのか気になってしまう。
「お前はどうなんだ。」
尋ねると光輝は言葉を詰まらせた。
「俺は、」
考えてもみなかったのだろう、思案気に目を細める。そして、
「俺も、やっぱりそうだな。」
「失恋、したのか。」
「うん。」
夕暮れではなかったけれど、屋上ではなかったけれど、唯史はその会話に既視感を覚える。だから、
「俺と、同じだな。」
つい遊び心で同じ台詞を言ってみた。光紀の目が、見開かれる。それから、一瞬だけ寂しそうな顔をした。しかし、
「長谷川君が?」
信じられないと言うように問うその頃にはもうそんな雰囲気は微塵もない。
「そう、俺も失恋。」
「勿体ないな。」
「本当に、そう思うか。」
「だって、長谷川君って格好いいし、性格だって優しいんだもん。俺だったら放っておかないね。いったいどんな女だよ、それ」
その会話は、あまりにもあの小説と似すぎていた。だからだろうか、唯史は言うつもりの無かった言葉まで羽丘と同じように出してしまう。
「好きだ。」
しまったと思ったがもう遅い。
「俺が好きなのは、雨下、お前なんだ。」
「って、何冗談言ってんだよ。だって、俺、男だぞ。」
「分かってる。」
言いながら、唯史は立ち上がる。そして
「じゃあ、」
誤魔化そうとする光紀の顎に手をかけた。初めて触れる唇はしっとりとしていて柔らかい。
「嘘。」
それが、自由になった光紀の唇から漏れた言葉。そんな所まで物語り通りだ、
「嘘じゃない。」
「どうしよう、俺。」
声が、震えていた。
「どうもしなくていいさ、俺が勝手に思ってるだけだ、今まで通りすれば俺も何もしない。友達としてでも嫌なら潔く去ってやるよ。」
まだ、物語が続いている。しかし流石に、その次の台詞が実際に聞けるとは思っていなかった。それなのに、
「違う、俺。どうしよう。キスされてるのに、嫌じゃない。」
戸惑う光紀を唯史は強く抱きしめて。
「だったら、俺のものになってくれ。」
首肯の返事を胸で感じた。

 

 

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