STRAY CAT 0
その夜、空に月は出ていなかった。
大雨に遮られて微かな匂いさえも消される中、屋根のある場所に居るとはいえ水飛沫で湿った毛皮が気持ち悪い。
ぶるぶると、俺は身を震わせて水滴を払った。けれどまとわりつく水気は消えなくて。髭を伝う水滴がうっとうしかった。
だから嫌いなんだ、雨の夜は。
空を見上げると当然の事ながら見えるのは重く厚い雲だけ。
でも感じる地上を取り巻いているこの雲の向こうに、確かにまん丸の大きな月が輝いているのを。
月は、俺たちの種族の守り神だった。
たぶん、それはご先祖様達が月からやってきたっていう言い伝えと関係しているんだと思うけど詳しいことは分からない。
ただ、人間に『猫』なんて呼ばれて完全に獣化してしまっている混血とは違い、俺たちみたいな純血種は満月から特殊な力をもらうことが出来た。
その力を、今、使いたかったから。
俺は雲越しに感じる波動に、思いを乗せる。
不思議な気分だった、最愛の妹を、真由を亡くしたのはつい一日前の出来事だというのに。
昨日は、もうこのまま自分も死んでしまいたいと思ったばかりなのに。
あいつの優しさに触れて、今、こうして祈っている。
《思いを、あの人を助けたい》
目に見えないはずの光が、俺の体を包むのが分かる。
誰かを思う、気持ちだけを聞き入れるという月の魔法。
体が軋む、それで居てどこか今までにない開放感。
広がっていく、自分の存在を感じたら。
気がつけばいつも屋根代わりにしていた低木は、視界の下の方にあった。
「あ・・俺。」
唇が、明瞭な発音を綴る。
服と体の間に隙間があるのがもの凄く変な感じだった。
「俺。」
手を見れば、そこにあるのは見慣れた肉球ではなくて短い爪の滑な肌。
目の前を少しだけちらちらする漆黒の髪だけは名残をとどめていたけれど。その姿は、今まで見上げてきた存在たちと寸分互いはなくて。
俺は、人間だった。
そう、これが俺たちに月が与えてくれる力。
自由に使える手足に明瞭な発音の言葉、言葉のほうは慣れれば猫型のときでも心話というのがあるらしいけど、俺は無理だからこうしてちゃんと話というのが出来るのが嬉しい。
驚いたり極度の緊張や衝撃があると耳や尻尾が出てくるって言う制約はあるけどこれで目的が達せられると思うと胸が躍った。
見てろよ、高杉瑛。
俺は手を握り締めて月に吼えた。
∥NexT∥