会いたくて、

 

酒というものには悪魔が住んでいる。
誰が言ったのかは忘れてしまったその言葉に、俺は大きく頷いていた。
今、俺の胸には酔った勢いでとんでもない事をしてしまったという後悔ばかりがひしめいている。
部屋の中はもう明るくて、窓の向こうからは車の行き交う音も聞こえ始めていた。
本来ならジョギングでもしたくなるような爽やかな朝だというのに。
目の前に横たわっている自分の罪を見据えて、俺は溜息を吐いた。
地方大学の薬学部に進んで以来、一人暮らしをしているから誰に気兼ねすることなく生きてきたこの部屋。
その部屋に、今日は別の人間が居た。
今目の前のベッドに横たわっているのは俺の後輩である大野裕也だ。一つ年下の彼は一浪して今年この大学に入学してきた。
同じ高校だという気安さで、昨日は我がバスケ部の新入生勧誘飲み会に招待した。そして結局酔いつぶれてしまったこいつを俺の家に引き取ったのだ。そこまでは良かった、珍しい事でもなんでもない普通の夜だった。ところが、
事もあろうに俺は
こいつを抱いてしまったのだ。
もう一度言っておくがこいつは歴とした男だ、その男を女みたいに抱いてしまったんだから。
「やっぱまずいよな。」
俺より何より男に抱かれたなんて事になったらこいつの矜持は傷つく以外何も出来ないだろう。これが女なら良かった(いや、それでも十分問題だけど)。正式に付き合って責任の取りようもある。
でもこいつは男だ、男であるこいつに、俺は一体どう責任を取ればいいんだろう。
悩めば悩むほど頭の中はぐるぐるしてくるばかりだ。
汚れてしまった体は拭いてやって服は着替えさせたしシーツも変えてしまっているから情事の影なんてそこには見あたらない。引っ越す時に親が無理矢理持たせてくれた消臭スプレーがまさかこんな役に立つなんて思わなかった。
柄にもなく正座になって、じっと見守る先にある少年はまだ目を覚まさない。時計の針は9時を指している、休日だから早起きする必要がないとはいえもう起きてもおかしくはない時間だった。そう思うとますますこの後に続く現実が怖くなって、
一体どんな顔をされるのだろう、何を言われるのだろう、そう思っただけで胸が痛かった。一応強姦ではなかったと思うのだが最後は無理矢理に近かったし。
居たたまれなくなって、俺は席を立った。
「朝飯、用意しないと」
わざわざ口に出す必要もない独り言、言ってから不自然さに嫌気が差す。これじゃなんか言い訳してるみたいじゃないか。
3年目になってなんとか板に付いてきた料理はそれでもワンパターンだ。朝はハムエッグにレタスとトマトとキュウリを添えて、トーストには中途半端なところでバター風味マーガリン。
専攻が専攻なだけに一応ちょっと体に気を付けているつもりだった。同級生からは朝からまめだと言われるけれど実はたいした手間じゃあないし、毎日同じメニューなら材料も余らせないで済む。
おかげで我ながら得意料理になったハムエッグは一切焦げの付いていない純白のままで。黄身は金色にぴかぴか光っていた。相変わらずのいいできに一人で満足していたらトースターからは香ばしい臭いが。
すると、
「ん、う」
ベッドから聞こえる小さな声、俺の意識は一気に現実に引き戻される。目を向けると大野が目をこすりながらこっちを見ていた。
「あ、おはようございます先輩」
寝起きの、何処か焦点の合っていない目は無邪気でとても昨日と同じ人物だとは思えない。
「ちょうどいい、今朝飯が出来たところだ」
俺もつい昨日の事を忘れて普通に話しかけてしまった。大野は、
「すいません、何から何までお世話になっちゃって」
恐縮しながら大野は立ち上がろうとして、
バランスを崩す、一瞬表情に走った痛みを俺は見逃さなかった。もう覚悟を決めて謝るしかない、俺は決意を込めて大野に向かった。
「大野、あのな、昨日は。」
「済みません、俺、随分飲んじゃってたみたいで。」
ガバリ、と頭を下げられて面食らったのは俺の方だ。
「これって二日酔いですか? 何だか力が抜けちゃって。」
少し早口で話すその顔はにこにこと、あまりに屈託のない笑顔で。
ダメだ、こいつに今真実を言う事なんて出来ない、俺の決意はもろくも崩れ去る。
「立つのが辛いんだったら飯、持ってくぞ」
結局いつも言っているような言葉しか出てこなかった、すると
「いいです、そんな。」
大野は慌てて朝食のおいてあるローテーブルに向かっって歩いてくる。その様子はまるで昨日の事が夢だったと思うほど自然なものだった。

 


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